幻舟のよろず相談劇場 (2)


 
 どんな問題でも、ひとりで悩むより、他者に聞いてもらうと、フッと、モヤモヤが晴れたり解決のヒントが見えたりすることが人生にはよくあります。
 他者から知恵を得ることも大切で、無知こそ人生の損失です。
 本コーナーは、ホームページを通して、人生経験豊かな花柳幻舟が多岐にわたる悩み相談に真剣に答える自由空間です。ひとりで悩まないで、ぜひメールを!




<幻舟さん、どう思います。ちょっと教えて!>
 
 ボクは大学浪人2年目のアホな男です。
 そもそもどうして2年も浪人しているのか?
 人のせいにするようで、幻舟さんに叱られるかもしれませんが、大学へ行くか行かないかの決断時、両親は「とにかく大学だけは行きなさい」と頑固にいい、ボク自身は、“なんで大学に、なんのために大学に”という思いがありながら、ま、両親に言われるまま受験。しかし、本気で勉強していないというのか、勉強に身が入らないというのか‥‥、受験は失敗。
 来年は3年目。
 目的もなく大学に行くことに、まだ吹っ切れません。
 幻舟さん、ズバリ教えてください、いや、ヒントだけでも教えてください。
【関東在住、国立大学を目指す 自称アホ男】





<ハイ お答えしましょう!>
 
 ヨーロッパの知人にいわせると、“日本人は、目的もなく、よくもまあ難しい受験のための勉強をやる!”と不思議がって言います。
「とにかく大学だけは行かなければ」というのが、日本人の多くの人が持つ通説的な世の中で、21世紀の今日でもそれは変わりませんね。
 私は本当におかしいと思いますよ。
 義務教育なら基礎教育ですから、自分の体験からいうと、行っておいたほうが、もし進学したときのためには楽だと思います。
 しかし、高等教育となると、他者ではなく本人の意思が強くなければ、受験用の勉強の努力にはとても勝てないと、私は思うのです。
 そりゃあ、私学で、金さえ出せばOKという学校もあるでしょうが、そんなのまったく何の意味もなく、単に学校法人を儲けさすだけ。
 本気で、この目的のために、この学問を学びたい、この仕事をするために、この学問を学ばなければならない、等々といった、本人の目的意識を持ってこそ、大学に行くという意味も意義もあると、私は考えています。
 今どき、大学に行ったからといっても、大したことではありません。誰も彼もが行く大学なんて、希少価値もないのですから。
 あなたの内的必然性において、この大学に行ってこの学問を学びたい! と強い意志が湧き上がるなら、きっと入学試験に見事勝利するでしょう。
 申し訳ないのですが、誰かのための受験なら、この辺でスッパリ進路変更に踏み切るべきだと、私はアドバイスしますよ。
 だって、人生は自分のためにあります。自分がしっかりしていてこそ、他者に目を向ける余裕も、やさしさも出てくるのではないかと、私は思います。
 ご両親にそのことをはっきり言える、それが先ずあなたの第1試験かもしれませんね。
 小学校3年中退の私が、1日20時間勉強して、大学を卒業できたのは、私自身の心の問いかけにしっかり答えたから 貫徹できたと、今でも確信しています。
 だからこそ、学問の面白さ、学ぶことの幸せと喜びを、私は知ったのでしょう。

 もう一度、ご自分に問いかけてみてください、大学に行くという意味と意義を。