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このポスターは、1994年5月の父の追悼公演のものです。

私の芸の師でもある父、嵐 家三郎(あらし かさぶろう)が逝って12年。
        あっという間の時の流れ‥‥。
    去る1月26日、身近な方たちが来てくださって、父の13回忌の法要を営みました。
        
   

  
 写真が出来上がりジーッと見ていると、お料理が何となく淋しい感じ‥‥。ハッと気づきました。
 お刺身、お吸い物、お香の物の盛り合わせ、果物等が写真に写っていない‥‥。
『13回忌で豪華に』と思っていたお料理なのに‥‥、写真になったらなんか貧弱、写っていなかった‥‥、がっくりです。(幻舟)






 










父との舞台姿・平井慎自氏撮影

「旅芸人の子だった私の幼いころ、貧困の極致のような旅回りの生活の中で、泊めていただいたお宅のわずかなお金ですが、私は盗んだ。私が十歳のころだったと思います。(略)日常のことで本当に怒ったことなどないその父が、そのとき私に向かって泣きながら言った言葉を、私はいまだに手に取るように覚えています。
『どんなにひもじくても、どんなに貧しくとも、他人(ひと)さんの物に手をつけるというのは人間やない。“やあーい、旅役者、河原乞食!”といわれて悔しいのなら、いわれんように正しく生きていかないかんのや、ワシらはな、わかるか。
 小そうても、この意味、わかるやろう。今度こんなことしたら、お前殺して、お父ちゃんも死ぬ。ええか、お前にそれだけの覚悟があるならやれ。お父ちゃんの心の内、わかるか。
 どんなに貧乏してても、けっしてやったらいかんことがあるんや。人間としての道を外したらいかんのや。他人さんのもん盗んでまで、生きるな!そこまでして、生きたらいかん!』
 父は断腸の思いと、私に心からの愛を込めてそういってくれたのです。そして、そのあと私を強く抱きしめて、声を上げて泣いていました。
 アメ玉ひとつ買(こ)うてやられへん、お腹いっぱい食べるもん与えてやられへん、育ちざかりの娘に何もしてやられへん、髪飾りのリボンひとつ買うてやられへん、親としての不甲斐なさ、娘にこんな罪を犯させてしまったことへの詫(わ)び、深い後悔を伴うさまざまな思いが父の全身を包み、熱い泪となったのでしょう。
 私にとって生涯忘れることのできない父の真の愛を、父の言葉から読み解きました。
 極端にいうと、親でなくてもいい、真剣に自分に向き合ってくれる人が、この広い世の中にたったひとりでもいてくれたら、その人を悲しませてはいけない、その人を困らせてはいけない、などの思いが何かのときにひょいと頭をよぎり、それが最も力強い犯罪の抑止力のひとつになるのではないでしょうか」

【昨年(2005年)末出版、『十四歳の死刑囚』(現代書館)P47より】