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連続15年間公演!
私の常打ち小屋“落城”
 山形県西村山郡西川町大井沢の私の常打ち劇場(1983年落成)連続公演15年間続けてきましたが、豪雪のため崩壊しました。

 文化人村構想という、町おこしの一環で入村し、かき集めたお金で芝居小屋を建設し、ローンも払っての毎年の公演。



 町おこしの一環として始めたはずの文化人村構想なのに、町からは、わずかな資金援助どころか、豪雪に対する雪下ろしの小さな手伝いもしてくれなかった西川町。しかし、地元の建設会社は“雪下ろし”という大きな副事業で収入が増えるありがたい文化人入村構想だったようです。


 満席でも木戸銭が激安、出演者への経費、支出のバランスはとれていないのが常打ち小屋の悲しいところ。おまけに過疎地。
 ひとり何役という、何から何までこなさなければならないのが、これまた常打ち小屋主であり、座長のしんどいところでもあり、楽しいところでした。






   

 作品の台本、演出、音楽選曲、舞台美術、小道具、衣裳製作、全食事の料理人と、私の仕事は休む間もなく段取りよくやらなければなりません。
 当然食材等の仕入れは開演日の3日〜4日前。アシスタントと一緒に、芝居小屋から50分ほど離れた町に買い出し。下ごしらえをして、冷凍にできるものはそのように準備。
 東京の事務所で舞台大道具の仕込み、稽古日、料理メニューなどすべて予定表に書き出して、タイムスケジュールの通り、料理の下ごしらえと並行して舞台美術にかかるのです。

(右側・現在オーストラリアで活躍中のユミちゃん、私の妹分です。彼女は舞踏家[ぶとうか]です。)
 初日が開いても主演をやっていればいいという楽な日はありません。
 舞台が開けば開いたで、衣裳や小道具の直しも有りで、労働は減りません。






今は亡き防衛隊長の金ちゃんと。 
脚立の上にいるのが私ですよ


 重労働でしんどい日々の山形公演だったけれど、周りのスタッフたちもよく働いてくれたし、ゲスト出演者も寝食を共にといった感じで関わってくれました。もちろん、一度お願いして、二度と関わりたくないと、がっかりさせられたゲストも多くいましたが。
 
 私を一番元気づけてくれたのは、お年を召したお客さんから、
「よがった! 生きてたら、こんなにいい舞台、観れるんダ〜」
 という言葉を聴くときでした。

『うらおもて桃太郎の不思議』から    
『幻舟天竺へ行く・西遊記』から

舞台稽古・演出中
     




         『幻舟in山形・夏の夢』から







 夏は38度以上はザラ、猛暑の山形県だけど、特に芝居小屋のあった大井沢地区は山に囲まれた風通しの悪い盆地で、空気がきれいだから太陽直撃。
 冬は2〜3メートルは当たり前、4〜5メートルにもなる豪雪地区。






(撮影・幻舟) (撮影・幻舟)
(撮影・幻舟)
 2000年、年明けて、地元業者に雪下ろしをしてもらって、その後、一夜にして驚くばかりのドカ雪、私の大切な常打ち小屋は崩壊。
 “嫁に来て70年だけど、こんな大雪、初めてだ!”と、やさしくしてくださった地元の“バーチャン”が、駆けつけた私に切なそうにいってくれた声と、お顔‥‥。








(撮影・幻舟)

(撮影・幻舟)

(撮影・幻舟)



 私の創作活動を支えてくれた、唯一の自由の表現空間、常打ち小屋が単なる瓦礫(がれき)と化して消えていく、儚(はかな)いものですね。

 身勝手で、熱しやすく冷めやすい、真から冷たい役人根性そのものの町役場の対応に腹立たしいことも度々。
 自分を含めて様々な思いを私にくれた私の常打ち小屋もわずか7日間の作業で、まったく何もなかったかのように消え去り、元の更地となりました。

「人生わずか五十年 下天のうちをくらぶれば
 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり‥‥」

 ということですかねえ。人間どんなにがんばっても自然の驚異の前では、ちっぽけなものなのです。





(撮影・幻舟)
 “落城”から早いもので、もう7年。
 本年早秋、跡地は他者に移りました。
 手続き等で久しぶりに行った、元芝居小屋の跡地。
 
 
父、嵐 家三郎の大好きだった隣家にそびえ立つ大木に、白鷺(しらさぎ)らしききれいな鳥が飛来し、微動だにせず、私を見下ろす。
 名残惜しそうに




芝居小屋入口に拾ってきた大きな石。
(撮影・幻舟)
 私がいたずらで書いた
 幻 の字。
 単にペンキで書いただけ
なのに、風雨豪雪にさらさ
れながらも、まったく消え
ていないのです。
 消えるどころか、当時よ
り鮮明に 幻 の字が浮
かんで見える、不思議?
 いや、私の情念が彫り込
まれたのかな『幻舟印』の
石に‥‥



(撮影・幻舟)
 豪雪によって壊滅した芝居小屋。
 解体工事は、私たったひとりで近くの民宿泊まり、現場監督をし、つつがなく片付けました。しかし、周りの村人は顔を出さない。
 芝居小屋をやっているころ、私たちに野菜などをくださるご近所の人たちは何人かいました。
 しかし、その野菜を届けてくださるときの雰囲気が妙で、どうして隠れて来るのか、ある“バアチャン”に聞きました。
「誰かにバレると、変な目で見られて。マ、いじめられるんだな。村の人でないもんと仲良くしていると、なア‥‥」
 疎外されるという。なんたる島国根性、小村根性! それを聞いて私は悲しくなったものです。私が旅回をしていた幼いころ、各地を回りましたが、まったく変わっていない “よそもの” に対する村人の排他的感情と接し方。
 ニッポン人は進化発展しない民族なのでしょうか。
 
 しかし、上の写真にあるように、私の後援会の看板を未だに堂々と掲げてくれている人もいます。
 この女性は、大井沢の人ではありません。村から40〜50分離れた町に住む前衛アートの芸術家であり主婦。初めからまったく変わらず、情の細やかな、私にとっては『
心友』といえる大切な人です。
 彼女がいる限り、また山形に行こう。私の後援会山形支部があるのですから。
 そうだ、情念込めた『幻舟印』の石も残っている。どんな扱いをされるのか、ときどき見に行かねば。


<山形 大井沢劇場にて新しく創作した作品の一部としては>
☆創 作 ・ 石 橋
☆蒙 古 襲 来
☆浪 曲 ・ 滝 の 白 糸
☆う ら お も て 桃 太 郎 の 不 思 議
☆幻 舟 天 竺 へ 行 く ・ 西 遊 記
☆七 変 化 日 本 名 場 面 の 一 部 始 終
                   (その他)