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−1月21日、大阪難波ジュンク堂書店サイン会を終えて−




『14歳の死刑囚』(現代書館)『ウソつきは、人間の始まり』(健学社)出版記念お話とサイン会を、長年の
知人でもありますジュンク堂書店の南浦さんの段取りにより、去る1月21日、終えました。
 集まってくださったみなさんに感謝。なお、難波店長さんには細々お心づかいをいただきありがとうござい
ました。書店のスタッフのみなさんにも心からお礼を申し上げます。特に私のアシスタントを心底やさしく務
めてくださった玉置さんに大感謝!!
 父を亡くし、大海で羅針盤を失った船のような私の精神状態は、私を疎外し、劣等感を叩き込んだ恐怖の『
学校』へと、なぜか向かったのです。
 意地と誇りを勝ち取って父のもとに‥‥という思いが強かったのでしょう。
 そして、小学校中退の私が大学を卒業。
 大学で学んだ法学。
「小学校中退」と本当のことをいうと、人間扱いされない世の中のウソっぱち。
 私の半生を、あるときは叱咤しまた激励してくれた言葉の数々。
『小学校中退、大学卒業』(明石書店)
『逃げたらあかん!』(KKロングセラーズ)
『14歳の死刑囚』(現代書館)
『ウソつきは、人間の始まり』(健学社)
 大学卒業して早いものでもう2年。上記著書が、私、花柳幻舟の総括的4部作となりました。
◇ 下記文章は、当日集まってくださった方の何人かからいただいたご投稿です。幻舟のこと、その他あれこ
  れと心あたたまる出来事などを書いていただきました。ご披露させていただきます。
【幻舟】




   
   <幻舟さん、ありがとう>

 楽しくすばらしい会をありがとうございました。
 1時間近くも、まずお話しをしていただきましたが、犯罪、刑法そして人間の本質や心について等々、幻舟さん独特のユーモアを交えながらのトークに、参加者全員が引き込まれました。
 書店内の喫茶コーナーというオープンスペースでしたが、椅子に座って聞くお客様だけでなしに、来店されて偶然この催しを知った方も、たくさん立って聞いておられました。
 新しい出会いも、いっぱい生まれました。
 そして引き続いて開催のサイン会。和気あいあいと対面で言葉を交わしながら、1時間以上も続けていただきました。私の友人も数名、来てくれましたが、「幻舟さんのこと、これまであまりよく知らなかったのですが、すばらしい方ですね」との言葉。
 いい集いでした。幻舟さん、本当にありがとう。 
【ジュンク堂書店・南浦邦仁】
 




   <幻舟先生との出会い>
 幻舟先生との出会いは今から15年前になりますが、私の息子が突然「幻舟先生の芝居に出してもらう事になった」と言い出しましたのが、そもそもの始まりでした。
 当時息子は働くかたわら、パンクスタイルでライブではベースを担当し、時にはテント生活の方たちに、お手伝いで毛布やパンを配ったりと、親の口から言うのもおかしいかもしれませんが、心やさしい息子でした。
 その息子が先生と出会い、そして先生に可愛がられ、息子が先生を師と仰いだ時から、私たち夫婦と先生とのご縁も始まったのです。
 けれど人生は残酷です。息子は交通事故という不慮の出来事により、先生と出会って1年後に亡くなりました。
 幻舟先生も師と仰いだ父上を亡くされたのが、息子が逝って1年半と少し経ったとき。
 先生が日頃から“信じて頼らず”を信条にしておられますが、私も、同じように心にいいきかせております。
“来る人を拒まず、去る人を追わず”と考え、これを常に念じていま生きております。愛する大切な者を失ったとき、自分がこれから先、生きていくための究極の自己暗示、究極の生きるための知恵かもしれません。
 幻舟先生にお逢いすることは、逝ってしまった息子に会えるような、そんな不思議な思いもあります。
 なによりもすごいのは先生にお会いすると、全身に“生きていこう”というパワー、エネルギーが満ちあふれてくることです。   【森尾正義、孝子】









   <幻舟さんへ>【鎌田俊二】
 初めて幻舟さんにお会いしたのはウン年前、私はまだ学生でした。
 私は「全共闘」世代の後に大学に入学し、公害を研究しているサークルに所属していました。その当時、学園の全ての学部自治会はある政党の青年組織部が握っていて「息苦しさ」を覚えていました。自治会と違う主張するビラを撒(ま)いていると、すぐに大勢の自治会系の学生達に『君らは全共闘か!』と取り囲まれ、自由にビラが撒けないのがキャンパスの当たり前の光景でした。そのような雰囲気の打破を目指す多くの仲間と自主講座運動を始めました。
 
 その自主講座の講師として幻舟さんに来て頂きました。前日は歴史学者の羽仁五郎さんで二日連続で大盛況でした。政治無関心派と言われる学生達も多く聴講に来ました。自治会の主張と違うお二人の考えを惜しげなく披露し、難しい内容を噛み砕いたユーモアにあふれる歯に衣着せぬ話し方で、反自治会系だけでなく自治会系学生の人たちも喜んでいました。幻舟さんに少しばかりの謝礼を渡すと、その中から私たちへの運動資金としてカンパしてくれたことも覚えています。

 幻舟さんには、言葉の持つ力と発した言葉の責任と、『学問の面白さ』や、『周りの人への思いやりと裏切らないことの大切さ』を、お会いした時から教えて貰っている気がします。
 人を飽きさせない幻舟さんのユーモアあふれる話し方と、常に社会を鋭く見つめる幻舟さんの洞察力と鋭い観察力は何年経ってもまったく変わりません。






   <カマタさんを初めて見ました>
 幻舟さんのサイン会場で、初めてカマタさんを見ました。
「見ました」っていうと失礼な言い方になるかもしれませんが「見た」のです。(略)
 カマタさんのことは、幻舟さんの本の中で何度か登場されていますのでご存知の方も多いかと思いますが、私もその中のひとり。少しは知っていたのですが、その日にお会いできるとは思っていませんでした。幻舟さんのお話を聞きながら私はカマタさんを観察していますと‥‥。
 まず、いい位置にカマタさんは立っておられます。幻舟さんの右45度。視界の邪魔にならない、けれどもいつでも幻舟さんのアイコンタクトを受けられる位置。さらに会場のお客さんを全員見渡せてエスカレーターから上がってくるお客さ
んをさりげなく横目でチェック出来る位置。そして、何かあったときにすぐに幻舟さんの前に動ける微妙な距離と緊張感が漂っています。まさに師匠と弟子、固い絆で結ばれた同志としての意識と自覚が随所に見えました。過去に幻舟さんと一緒に数々の修羅場をくぐり抜けた経験がそうさせるのでしょうか。同じ人間としてカマタさんを尊敬のマナザシで私は見ていたのでした。           【幻舟組黒衣(くろご)見習い】





          
   
<鍛え抜かれた冷静な観察力>
        【土屋比佐子】

 ある日、猛勉強の最中だったと思うが、幻舟さんから電話がかかってきた。とても弾(はず)んだ声だ。
「今まで、わたし英語全然わからへんかったけど、ノートを取っている時にね、本のページのことをP.15とかP.25とか、自然にカタカナではなく「P」と書いていたんですよ。ホンマ嬉しかったわ」。これを聞いて、私の心は感動で震えた。
 幻舟さん、やったね!!幻舟さんは自分の学びに向き合い、目を光らせ、ひとつひとつコツコツと自分のものにしていった。幻舟さんの学ぶ事への真摯(しんし)でひたむきな姿勢と、深い思いに涙が出そうになった。
 大学で獲得した知識も、幻舟さんの中で生きもののように活きていて、スッと実践に結びつけていく。誰もが出来る事ではない。
 今度、出版された2冊のうち1冊は『14歳の死刑囚』である。
 この本の中には、少年たちが法律を知らないため、知らずしらずのうちに犯罪者に仕立て上げられて、一生を台無しにしてしまう、そんなことがないようにという、幻舟さんの熱い、祈りともいえる想いが込められている。難しい法律が、現実に起こりうるケースと絡(から)めて、分かりやすく書かれている。
 15年ほど前だったか、暑い夏の日、突然、私の娘と一緒に幻舟さんがわが家に現れた。涼やかな目と高い鼻、小柄だけれど、実際より一回りも大きく見える存在感と華やかさ。そして、機関銃のようにポンポンと喋る迫力に圧倒されて、私は幻舟さんをじっと見つめた。
 クーラーのないわが家に入っての第一声は、「ああ、この家は南北に窓があって風が吹き抜けるわねえ」だった。何気ない言葉だが、初めての家に来てそんな風に言う人は、幻舟さん以外にない。
「いまどきクーラーがないのは珍しい」などと通りいっぺんの事ではなく、本質をズバッと言うことで、その家の立地条件や建て方を鋭く見抜く。風を受ける動物的な感覚の鋭さと、鍛え抜かれた冷静な観察力。これは幻舟さんがきっと生き方の中で身につけてきたものだと、私は瞬時に思った。鋭い人だ。
 幻舟さんと知り合うきっかけをくれたのは娘、由美だった。由美はその頃、東京で幻舟さんの舞台にその他大勢の一人として立たせてもらい、それがご縁で、山形にあった幻舟さんの人民劇場や大阪での舞台にも呼んでもらい、「大阪の妹」と可愛がってもらった。(略)どちらかといえば西洋の世界に近かった舞踏(ぶとう)活動をしていた娘は、幻舟さんに出会って、初めて着物の着方、
舞台での準備、早変わりの段取り、「和」の世界の身のこなしなどを、いちから手ほどきを受けた。幻舟さんは優しい人だが芸の世界では非常に厳しい。舞台人として、生身の人間として幻舟さんの魅力が娘を惹(ひ)きつけた。
 年月にしてみれば、そう長くはない幻舟さんとの交流、今も娘の心の中で大切な財産になっている。

土屋さんのお原稿をスペース的、物理的用件のために大幅にカットさせていただきました。しかし、多くの方たちに読んでいただきたい渾身(こんしん)の思いをこめた“情”のこもったお原稿です。ですから2,3号あとになるかと思いますが、メルマガのほうに全文再現いたします。(幻舟)




   <「学校の先生ですか?」と初めて聞かれたとき>【福山の川さん】

 私が幻舟さんと出会ったのは、友だちにさそわれた講演会と、その後の食事会でした、かれこれ20数年経つでしょうか。
「学校の先生ですか? 私のような生い立ちをもつ人がいるということをしっかり知っていてほしい」「上から見下ろす教員にたくさん出会った」と話されたのが、大変ショッキングでした。
 つい先日も「サインお願いしますね。‥‥まあきれいな字じゃあない」とか「しんどいけど、がんばってね」などと、同情的な言葉を軽々しく発する人がいまだ多いことを話されていました。
「たまたま勉強ができる環境にあった人は、たまたま勉強ができない環境にあった人に、勉強した人は、知っていることを返していくただそれだけのこと、なにも特別なことやないのよ。たまたま学校へ行っただけ、たまたま行かれへんかっただけのことやから」と言われたこともよく覚えています。
 何度も講演会などにご一緒させてもらいました。忙しいときもありましたが、政治や社会の矛盾した話など、そばにいるおかげでいっぱい聴けたし、楽しい時間でした。
 しかし、これだけのお付き合いをしながら、幻舟さんの思いや、期待を裏切る言動を私はとったのです。
 私たちの地域で、仕事を続けることができない、女性にとって仕事がしづらいという職場での大きな問題が起きました。その事件を直接ある女性から聞かれた幻舟さんは、はるばる東京からかけつけてくださいました。
 さっそく勉強会を持ち、私が司会をしました。勉強会が終わり、幻舟さんの力強い説得により、事件の渦中に在(あ)る女性がもう一度仕事を続けるという、決意を固めてくれたのです。
 会ではたくさんの仲間が、差別の問題や職場の矛盾など自らを語り、非力な自分自身を恥じ入る発言者もいました。なのに私はどうだったか。
「他にありませんか」を繰り返すだけで、上司のおかしい発言に対しても何の反応も示さず、そのおかしい発言を怒りを込めて整理されたのは幻舟さんでした。
 会終了後、「あそこで、あなたが言わないとだめでしょう。あなた、どっち向いてしゃべっているのよ! あなたは、上から見下ろして、単に見てるだけの人間なのですか!」と、幻舟さんにズバリ指摘されました。私はひたすら「反省します。がんばります」と答えるのみでしたが、そのとき幻舟さんのみならず多くの仲間の期待を裏切ったことでしょう。第三者的立場をとり、つらい立場の側から行動をしていない私がそこにありました。
 その後も進歩しない私をみて、その度ごとに幻舟さんに鋭く指摘されました。
 私は、自分ではがんばっているといううぬぼれがあったと思います。しかし差別する心をどこかにもっているから、言動になって現れる。今のままの自分ではだめなんだ、そして人の気持ちや、思いの重みが簡単に分かったような気になるもんじゃない。そこから自分を見つめたい。そう考え始めました。
 その後何年か経っていますが、今でも自分自身をきちんと整理できているとは思いませんが、自分を見つめる謙虚さだけは持ち続けたいと考えています。
「あなたのような先生がいるということが、どれだけ私、うれしかったか」と、ずーっと以前、幻舟さんはポツリと話され、そのとき「人を喜ばしておいて、裏切ることは倍の裏切りです。そんなひどいことだけは絶対しません」と約束したことを忘れていません。


   <僕の自慢話は‥‥>
 何から書いて良いのか‥‥。
 初めのころ僕は「お手伝いをしてあげている」「一人のファン」にすぎなかったと思います。
 ある日、今からはるか20年くらい前だったと思います。
 広島県北部での「お話とおどり」の舞台のリハーサルのとき、幻舟さんは、照明を担当していた僕の緊張感の無さを察知し、とても厳しく叱られたのです。その日の演目は『葵上』(あおいのうえ)という創作舞踊でした。
 そのとき僕は瞬間的に「なんでそんなに叱られんといけんのか? 手伝ってやっているのに! こんなに叱られるのは初めてじゃ、しかも女に!」という思いが頭の中でいっぱいになりました。幻舟さんはそのことを鋭く見抜いて、悔しくてふてくされている僕と向き合って、リハーサル終了後、長い時間話し合いました。徐々に、自分の考えの浅さに気付かされていったのです。
 幻舟さんは「みっちゃん、あなたは花柳幻舟の舞台活動を通じて、あなた自身の周りにある不合理や矛盾、差別を無くしていく闘争をしている人でしょう」「私ら一緒に闘っている仲間でしょう」と指摘されたのです。
 思い出せば、初めて幻舟さんの講演を聞いたときのことです。
 幻舟さんが子どものころの話で、座員に裏切られ舞台道具を持ち逃げされ「亀さんがんばる、亀さんがんばる」「亀さんがんばれ、亀さんがんばれ」と親娘二人、声をかけあいながら、幼い幻舟さんを背中に乗せ、父・嵐家三郎さんが深い海を死に向かって泳いだという体験談を聴きました。僕は生まれて初めて、感動に身震いしたのです。
 なのに、いつの間にかその感動を忘れてしまい、「なんでそんなに叱られんといけんのか? 手伝ってやっているのに! こんなに叱られるのは初めてじゃ、しかも女に!」と、日ごろは組織の中心として「天皇制反対・差別反対・男女平等」などと格好の良いことを言っていながら、言葉だけのスタイルだけの活動だったのです。幻舟さんは僕を闘う仲間として見てくれていたから、あの厳しい指摘があったのだと、順々に話してくれる幻舟さんと向き合っているうちに徐々に思えるようになったのです。自分の目指さなければならないものが見えてきたと、僕は正直思いました。
 その後の公演活動は一緒に闘っているという実感が僕を支えてくれ、受け身ではなく、照明や音響にも工夫をこらしたり、しかも楽しく出来るようになったのです。
 幻舟さんと20年以上付き合ってきて、いつも思うのは「この人なんで他人にあんなに優しくできるんじゃろう」ということです。
 わざわざ東京から高い旅費や忙しい時間を費やして何度も広島県まで来て、もつれた話に神経をすり減らし、怒って泣いて笑って。2〜3度しか会ったことのない人のお見舞いに花束を届けたり、知人の就職を世話するために、渥美半島まで出かけて行ったり。僕の知っていることだけでも書けば本当にきりがないのです。
 ときに「怖い、厳しい、過激」などと言う人がいますが、そんなときこれだけは、はっきりと言っています「本当の花柳幻舟を知らんあなたに、何がわかるんじゃ? 僕が20年以上付き合ってみて、こんな優しい人は知らん」と。
 僕の自慢話は「花柳幻舟のとても美味しい手作り料理を堪能したこと」
 最後に、「知り合えて良かった、あのとき自分の思いをぶつけて良かった、話し合ってもらって良かった」                     
【福山のみっちゃん】







創作舞踊『葵上』(初演1987年) 撮影:平井慎自氏


<サイン会お集まりと、あたたかいご投稿、ありがとう!>
 私の予想通り、少年法並びに少年院法の改正案が閣議で決定しました。
 14歳未満でもこれまでと違って、警察の調査(捜査権)を法的に明記し、強
制的捜査、押収とともに、現在は14歳以上と限られていた少年院への収容年齢
も撤廃。家裁の判断で14歳未満でも収容できることになるわけです。
 また、これまでなかった保護者に対しても責任を自覚させるための指導等の
規定も組み込まれました。保護者にも罰則規定ができる可能性は考えられます。
 少年少女たちを保護育成するのでなく、厳罰化によって彼らの犯す犯罪を抑
止できると確信している権力の座にすわる人たち。
 私は、決してそうは思わない。
「カーッとしてやっているとき、何罪になるなんて誰も考えてないよ!」
 と返ってくる言葉が圧倒的に多い現実を、私は知っています。
 厳罰化を進めるエライさんたちの思考と、少年少女たちの心理とは、とてつ
もなくかけ離れていると私は断言します。犯罪抑止には厳罰主義ではなく、犯
罪に走らせない大きな力、それは人と人との関わり、心と心の絆(きずな)、
犯罪抑止は人間同士の関係性によってなされるのです。
 愛する人を悲しませてはならない、父や母が苦しむ、と心底信頼しあえる人
が、この世にたったひとりいてくれたら‥‥、自分自身に本気で向き合ってく
れる人がひとりいてくれたら‥‥、少年少女たちは愚かな迷路に迷い込まない
と、私は考えます。
 人は情に支えられ、情を交わしながら生き抜いていく、いきものです。
 今回のサイン会に集まってくださった人たち、いや当日はなにかの用事や仕
事ができたりしてこられなかった人も、きっと「行ってあげたかったなア‥」
と、心にとめてくださった、情のある方もいらっしゃったことでしょう。
 人の情は“おたがいさま”という心の余裕とあたたかさです。情は、やった
りもらったり、人と人との間を行き来(いきき)するものです。
 みなさんのご投稿を読んでいただければご理解いただけると思いますが、私
の周りには、彼らのように情愛深い人たちが多くいらっしゃいます。私はその
情愛に支えられてきたのです。

 近いうちにまたお会いできますことを願っています。see you(シー ユー)