トピックス
自転車操業インターナショナル連合会
自操連<略称>

自操連を設立した動機
(KKロングセラーズ出版「逃げたらあかん!」より)
 これはある出版社での話です。
 契約の話を私が出した途端に、
「大丈夫だから、大丈夫だから」
 と契約がのびのびに。完全生原稿の入稿を済ませ、出版の日程も決まった。当然、本の定価も出版部数も確定した。そこでやっと契約の段階になった。
 初期段階で何度か話していた約束でしたから、私は早目にお金が欲しいと念押しした。ところが社長は突然豹変(ひょうへん)したのです。
「なんや、幻舟さん、自転車操業やってんじゃないの? おれは自転車操業やってるような人間は信じられへんのや」
 と、大声で私に威嚇(いかく)した。私はソファーに座り、その社長はズボンに両手をつっこみ仁王立ちです。
 大学へ行っていましたから、私はこの七、八年の間はまったくの無収入です。それは自分で選んだことです。泣きごとをいっているわけではありません。その話も私は最初にしてあります。しかも私の原稿を読めば一目瞭然(いちもくりょうぜん)。
 にもかかわらず、同社の社員たちの前で、私を見下ろすように仁王立ちのまま、私は卑しめられたのです。
 私はその時、“この場面 どこかで見たなあ”と、記憶を探(さぐ)った。
 その瞬間、昨日のことのように出てきたのが、私と父が行く先々の学校で、校長室や教師たちの前で辱(はずか)しめや恥辱を受けたあの時の悔(くや)しさがよみがえったのです。
 大学でたった独りの格闘の成果として、私の「トラウマ」は癒(い)えたものだとどこかで安心していた。しかし、理不尽(りふじん)極まりないこの社長の言動によって、私の心の中でまた大きく傷は開き、勢いよく血を噴(ふ)きだしてしまったのです。
 彼は、「自転車操業をやっている人間を信じられない、信頼できない」とくり返した。
 その本の企画構成を手伝ってくださったフリーライターの方もご一緒だったのですが、ギャラの話になった途端、その方にも、
「事務所なんか持つ必要ないよ。自分の家で充分だよ。もったいない、経費が。子どもは何人いるんだ?」
 と、プライバシーにまでズカズカと踏み込む始末。私はがっかりしました。
 人権をうたい文句に出版業界でも名をなし、初めてお会いしたときのその社長のイメージとは天と地ほどにも違うこの人の人間性に、私は心から落胆しました。
 ギャラの話は当然のことです。労働に対する報酬なのですから。
「幻舟さんはそうおっしゃるけれども、私のとこは決まりがあって、この時期しか出せないんですよ」
 と、静かに話をすればいいことなのです。なにもそんなに、威丈高(いたけだか)に、他人を卑しめる必要はないのです。
「ああ、そうなんですか。じゃあ、中とって、支払日はこれぐらいでどうかなあ」
 と話せばいいだけのこと。しかし口約束ではありますが、はじめのころは、出版と同時に支払うという話をしておられたのです。なぜかお忘れになられたのでしょう。
 私はそのときにご一緒だったフリーライターのAさんと後日お会いし、次のように話しました。
「私は腹わたが煮えくり返ると同時に、哀しいものがありました。やっぱり富める人間は貧しき人間の気持ちはわからないんだなあと。
 出版社から出て、駅まで歩きながら、切なく寂しいものがこみ上げてきました。だけどフッと思いあたったんです。
 世の中、見渡してみたらこの不況、年老いた親をかかえての介護問題、共働きなら保育園の費用。やっとのおもいで家を買ったらローンに追われる。会社の倒産、リストラ、みんなそれぞれ辛い経済活動を余儀なくされていると思うんです。
 そうすると、大なり小なり、みんな自転車操業なんです。まっとうな人間は、一日たりとも休めないのです。
 親の七光りの看板で生きているとか、親が持っている土地を転がしながら生活しているような人とか、何十年も前に銀行を襲撃して金を床下に埋め時効を待ってちょびちょび使っているとか、そういう人たちは自転車操業じゃない、好き放題に生きていけると思います。    (「逃げたらあかん!」より抜粋 )


 ジョーク、ユーモアこそ、人民大衆の最大にして最強のエネルギーであり、武器なのです。
 まさに、私流の、転んでもタダでは起きん! 思想で、我が自操連は明るく、ほがらかに、設立したのです。






「自転車操業インターナショナル連合会 」
〈設 立 宣 言〉

一、
本日、私たちは、堅い絆(きずな)をもって『自操連』を結成したことを、世界に向かってほがらかに宣言する。
一、
自操連は、創作舞踊家の花柳幻舟を永世総裁に、フリーライターの水平線世之介を副総裁に、日々追いつめられる印刷業界にあって凛(りん)とした姿勢を貫く木戸光を最高顧問に、フリーターの中森秋彦を事務長とする四名の役員で構成、運営される。
一、
「自転車操業」とは、たとえていえば、自転車のペダルを懸命に漕(こ)ぎつづける<働く>ことで日々の暮らしを支え 前に進む<生活する>という、やや揶揄(やゆ)された慣用語である。
 しかし、今日の社会状況を見渡してみるとき、日々まっとうに生きる人間なら、その多くが自転車操業的生活とならざるをえない。
 長期独裁政権による経済の破綻(はたん)、不況に端を発した社会福祉の切り捨て、強者優先の市場経済システム。混沌(こんとん)とした社会で、人間としての意地と誇りを失わず、ごくまっとうに生きつづけようとする限り、“自転車操業”を余儀なくされるのは、現代にあっては当然の理である。いいかえれば、“自転車操業”で生きているものこそが、自己を失うことなく気高く生きる真の人間であるといえよう。
 私たち自操連は、自己を見すえ、自尊心を捨てず、誇り高く未来に向かって歩(あゆ)もうとするものたちの集まりである。
一、
よって、本会の入会資格は、情熱とプライドをもって真剣に自転車操業生活を送っているもの。従って、年令・性別・国籍・人種・民族・思想信条等々の違いは問わない。ただ前記創立者四名の資格審査を経て、合格することを要件とする。
一、
ここで副総裁が身をもって体験した、実に象徴的ともいえる事象を付記しておきたい。
 さかのぼること数日前の四月某日。風速十五メートルはあろうかという猛風の中、副総裁は大事な所用で、愛車の中古自転車のペダルを身体を二つ折りにして狂おしく漕いでいた。歯を食いしばり、運動不足と栄養不足で逆走しそうになる力学に懸命に反逆し、くじけそうな心を鬼の形相に変え、ほとんどケイレン寸前なまで両腿(もも)の筋肉が引きつれるのに耐(た)え、どうにか目的地にたどり着いた。だが、このときに味わった苦闘と達成感こそがまさに自操連そのものの姿だった。
 ペダルをどうであっても漕ぐのをやめてはならない。すなわち漕ぎつづけることこそが我が暮らし、自転車を漕ぐことをやめたとき我が人生も終る。けれども、ときにはペースダウンもよいことで、なんとか日々漕ぎつづけてさえいれば、喜怒哀楽ひき連れて明日の希望も生活も見えてくるのだと、身をもって悟ったのであった。
一、
私たちは、愚劣(ぐれつ)な風潮にひるまず、屈せず、しごくまっとうな人間こそが持ちうる意地と誇りと夢と栄光が、健全なグローバルスタンダードとして世界の常識になるよう、活動の第一歩として本日ここに、自操連の設立を宣言する。(二、三改正あり)

 2004年5月1日
永世総裁・創作舞踊家 花柳幻舟
副 総 裁・フリーライター 水平線世之介
最高顧問・印刷業 木戸 光
事務長・フリーター 中森秋彦



<胸張って、 「自操連」( 略称)といえる時代デス>

 戦後、勢いだけで、追い越せ、追い抜けのなりふりかまわぬ、市場経済・商業主義の社会にあって、情け容赦もなく、蹴り倒し、なぎ倒して、息ぎれしながらもトップを走りぬけ、『勝ち組』とやらに上りつめた人たちは、胸張って生きてこられたことでしょう。
 しかし、他者の痛みや 人の情けに心打たれたりするような、人間性を失っていない まっとうな人は、他者を押しのけ、蹴落として、なりふりかまわず走り抜けることはできない。
 まっとうな人間なら、今の世の中で、自転車操業の日々は当然であり、それは、逆説的にいうなれば、今や死語になったかもしれない「正直者、他者への思いやりのあるやさしい人」などという証だと、私は確信しています。
 人間を、都合のいいとき、都合のいいように、まるで品物のように使う『勝ち組』とやらの座にすわってきた人々が、いや、労働者の中にも『エリート』と自分自身をおだてて、その錯覚の上から他者を尻目に『勝ち組』と思い込んできた連中が、今、直面している、大量解雇で、大量失業。
 『勝ち組』も『エリート』もごっちゃまぜでの大量失業者たち。
 私など、人間、生きてゆくことそのものが、ある意味現象の繰り返しと、さまざま沢山見てきましたから、世の中なにがあろうが、まったく、な〜んも怖いものなしなのです。
 しかし、今の世の多くの人は、いきなり後ろから、トビゲリされたような思いで、ビックリでしょう。これまでと天と地ほど違う世界に放り出されるのですから。
 誰が作った造語か知らないけれど、『勝ち組』や『負け組』やと、ふざけた流行語に振り回されて、強者に利用された これまでを振り返り、ここらで自分自身を見つめ、他者を見て、互いに助け合って、ゆっくり、しっかり歩きませんか。
 自転車操業ヤ、それがどうやネン! と、胸張って、堂々とまっとうに、生きていきましょう。
自操連 永世総裁 花 柳 幻 舟