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花柳幻舟

 1980年2月21日、 朝は晴れていたが、時間が経つにしたがって、空はどんより曇り、次第に 雨→みぞれ→夕方には風も強く、ボタン雪が舞っていた。
 特権階級の象徴的意味もある国立劇場で、私がはじめて非合法行動をたったひとり決行したのがその日です。
 家柄、血筋、いわゆる包み紙のみがものをいう、中身は二の次、三の次。
 若い才能ある芸術家が、必死の思いで作品など創ろうものなら、「邪道だ!」と、一言のもとに切り捨てられる家元制度。
 拝金主義、市場経済と、家柄、血筋の、いまの言葉でいうなら、チョー・コラボレーション(笑)とでもいうのでしょうか。
 とにかく、前近代的世襲制と、市場経済資本主義が見事に手を組み、肩で風きる家元制度。
 実力などまったく関係のない世界、それが日本にしか存在しない家元制度です。
 ある有名な心ある評論家が、ずーっと以前、こんなことをいっていた。
「家元制度はニセ札がニセ札を作り、発行し、またそのニセ札が新しいニセ札を作り、発行する。
 家元制度とは、ニセ札が立派に通用する世界なのだ」
 見事、的を射た表現です。
“名取”という免許は、実力ではなく 金で買い、その“名取”という肩書にものをいわせ、新しい師匠が生まれ、実力のカケラもない“名取”が弟子をとって、金で免許皆伝を授ける。
 まさに、芸術とはほど遠い ニセ札がニセ札を発行し、金もうけできる、システムなのです。
 当然、そのナンセンスさは、内部にいる人でも普通の人間ならわかっている。しかし、ここがおかしいところで、矛盾と、知っていても名取(免許)にならなければ、教授することはできないと、錯覚(思い込み!)させられているということなのです。 これが、大間違い!


 例えば、踊りの大流派のひとつといわれる「西川流」というのがありますが、同じ「西川」と付く名前に、ふとん屋さんのメーカーも、お笑いのタレントさんにも、同名はあり。周りを見渡すと、同名は限りなくあるはずです。
 名前には著作権はなく、特定の商品等々を著作、商標として登録し認可を得ていないかぎり、名前は誰でも自由に使えるのです。
 しかも、大金を出して名取免許を取得したのだから、自由に作品を創り、自由に芸術家として活動するのは当たり前。しかし、家元制度には、摩訶不思議な取り決めがあります。
 家元制度のシステムは、ピラミッド型に形成され、ま、早い話が、現在、非合法になっている、以前存在していた“ねずみ講”そのものです。
 自分の直接の師匠に教授代として上納するだけではなく、一度として話したこともない師匠の師匠や、家元に、なにやかやと名目をつけられ、搾取されていく、すなわち上納金が必要なのです。
 それはまるでピラミッド型になっていて、図で例を示してみます。


 このピラミッドは、それぞれ師匠の立つ位置によってもっと大きなピラミッド階段になったり、搾取する師匠の数も増えてくるという仕組みの例です。
 早い話、宗家家元に直接教授してもらえば、途中のピンハネはない。
 そのかわり、宗家家元に直々教えてもらうのだから月謝のランクもメチャ高。

 このような図にしないとわからないように作られているのが家元制度です。
 自分が教えてもらっている師匠に、月謝とは別に、盆暮れに、お鏡代、浴衣代などの名目でお金を要求されます。
 例えば、浴衣代として5000円を支払うとして、その5000円は、直接の師匠に支払いますが、その師匠に全額お金が入るのではなく、ある一部(例えば1000円)、そして、その上の師匠がまた1000円、そしてその上が‥‥というふうに、さや抜きしていく。当然、宗家家元に上納する金額は初めから決まっていますので、ピラミッドの大きさ、規模によって、中間搾取金額は 自ずから異なるということでしょう。
 このようなシステムの中で、舞踊家として本気で生きていくためには、実力がなくても何でもかんでも弟子を多く取る、かき集めなければ、自分自身の生活は維持できないのが、家元制度なのです。
 驚愕のおまけは、領収書など通用しない世界です。
 ある人が“領収書を”といったら、「お前、アカか!」と師匠に叱られたとか。アカ すなわち共産党か! の意味です。
 手を変え品を変えて、私は家元制度について告発、訴えつづけた。けれど、本質的に家元制度の矛盾や悪を知りながら、ブツブツ陰ではいっていても、破門されたら仕事ができなくなるのではと、見えない影に怯えて いざとなると誰も表に立っては反家元制度の行動はしない。それは、日本国中、家元制度的なシステムで動いているという現実を、みんな、肌身で知っているからなのでしょう。


<私は非合法という形で世に訴えた>
 当時、私の非合法行動を具体的に、前もって知って、仲間面していた人間もいました。けれど、いつの間にやら消えていった。
 オスカー・ワイルド(1854〜1900)という劇作家でもあり、詩人でも小説家でもあった彼が、
「どんなことでも許せるが、友だちといいながら、苦境のときに消えていった人間だけは許せない!」
 といった言葉があります。

 私は、我がことのように、この言葉を受け止めています。
 他者が苦難のとき それも仲間なのに、逃げだせる人間。同じ地球人と思えば、なお怒りは倍化します。
 どんな場合でも理性的な私が、
どいつもこいつも みな殺しにしたろか!!
 と、コントロールがブチ壊れる日でもあるのが 2月21日
 1980年2月21日、ボタン雪と風の強い日でした。
 私という人間の 再生、出発の日でもあります。

 しかし、不思議なことに、2月21日は、毎年、寒いのです。なぜか、です‥‥。


 でも、この2年、暖か‥‥。
 私の大切な日も、地球温暖化で、変化してきたのかなア‥‥。

 昨日(27日)、久しぶりに前方が見えないくらい 東京はボタン雪が、舞いました。
 私の心の中の血が、沸騰(ふっとう)するのを実感したのです。



(撮影・幻舟)
 毎年忘れず、花を贈ってくれる人もいます。
 メール、電話で マヌケな面白い話をしてくれる ひとも いっぱいいます。
 ブチ殺してやりたいヤツばっかりではありません。


 けれど‥‥人間、決して忘れたらいかんこと、人間 絶対にこれだけは! と、こだわり続けること、ひとつくらい持ち続けないと、いまの世の中、<犬死に>しますからネ。