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我が防衛隊隊長金ちゃん、逝ってしまった

 いつのころやら、我が劇団の防衛隊隊長になってしまった澤村金一氏、彼の生前中、一度としてこの名前を私は口にしたことがありません。
 私をサポートしてくれるようになって、かれこれ20数年。私は、澤村氏を「金ちゃん!」と呼んできました。
 初めて会ったときから、なぜか親近感に包まれ、互いに心を開いて関わってきた。東北弁丸出しで、心身ともに着飾ったり見栄を張らない金ちゃんは、私にとっては、私の片肺のような存在の人でした。
 その金ちゃんが、去る7月24日早朝、逝ってしまった。
 糖尿や肝臓等、2、3病気を持っていたが、それも近ごろは大変良くなり、元気だった。
 私が旅の仕事に出発する前、元気な声も耳にしている。帰ってきたら東京での講演会場に顔を出すことも約束していた。そんな感じでいただけに、金ちゃんの親族から死去の電話を受けたとき、我が耳を疑った。
 わずか1ヶ月少しの入院、それも、病気らしい病気ではなく、医者にいわれるままに入院し、入院している間に急激に起き上がることもできなくなり、アッという間に旅立ったと、意味不明に家族はいう。病名さえはっきりしない金ちゃんの死因、一体、金ちゃんの身に何が起きたのか。キツネにつままれたような思いが私の内に残る。
 本人にとっても、まさに寝耳に水という感じであったろう。
 あの世に逝った金ちゃんは、自分が死んだことさえ、いまだにわかっていないかもしれない。


後ろに立っているのが澤村金一さん。
手前は『自操連』名誉顧問の木戸 光氏
[「花柳幻舟・小学校中退、大学卒業記念パーティー」にて。2004年3月20日撮影]


 金ちゃんは、私の行く先々へ、私を乗せて車を運転してくれ、私にとっては、おっとりした、いささか緊張感のぬけた防衛隊隊長でした。
 金ちゃんとの想い出は語り尽くせぬほど、山のようにあります。
 おっとりしている人でしたが、信念の強い人で、私がタバコを嫌うというのを、何かの折に察知し、長年のヘビースモーカーだった金ちゃんはキッパリ禁煙してしまったというエピソードもあります。
 お正月に、スタッフや仲間たちと一緒に、私がお料理を作って食事会をしたり、ゲームをしたりと、楽しく過ごすのが、我が劇団の定例でした。
 こんなことがありました。
 年末、どうしても仕事が混んで、買い出しに行く時間がない私の代わりに、金ちゃんに買い出しを頼んだのです。
 食材のリストを作り、金ちゃんにファックスを送り、なおかつ、電話で説明しながら、本人が理解しているかどうかも確かめた。にもかかわらず、どこでどう間違ったのか、“タバスコ”がとんでもない物に化けてしまったというお話です。
 金ちゃんは私とは実に対称的で、おっとりとした、めったに走らない、いうなれば気ぜわしくしくない人でした。ですから、ひとつのことを頼むにしても、ゆっくり説明しないと、話が見えていないことも多かった。
 走りながら考える人と、考えてから走る人と分けるならば、前者は私、後者は金ちゃんだったでしょうか。

 しっかりメモもファックスし、口頭でも説明していたお正月の食材表。安心しきっていました。
 31日、金ちゃんは車に食材を乗せ、我が家へ。リストと合わせながら、キッチンで食材の整理をしていると、金ちゃん、ボソリと、
「ねえんだ、タバスゴ? どこへ行っても」
「どうして。タバスコなんて、どこでも売ってるデ」
 と、関西弁丸出しの私が返すと、
「行ったんだげど‥‥」
「どこへ?」
「タバコ屋。うちの近所の」
「どうしてタバコ屋さんやねん!」
 金ちゃん、タバコ屋へ行き、
「タバスゴ、ねえか?」
 と東北弁の金ちゃんは訊いた。
「うちは国産のタバコしかねえ、ハクライはないんだ。専門店へ行って」
 といわれたという。
 金ちゃんは「タバスコ」という調味料を「タバコ」と思い込み、タバコ屋さんに行ったようだ。
 おまけに、行った先のタバコ屋の主人が、金ちゃんに輪をかけたような人で、「タバスゴ」と東北弁丸出しでしゃべる金ちゃんの言葉を聞くや、即「外国のタバコ」と美しいボケ話となったみたいです。
 何も知らない金ちゃんは、その店主の言葉に惑わされ、外国製のタバコを求めてというか、タバスコを求めて、西に東に車を走らせたそうです。
「金ちゃん、タバスコいうたら調味料で、日本でいうたら唐辛子、そんな感じの香辛料でね‥‥」
「そうなんだア? ある店の人が、タバコ屋より食料品店のほうがあるヨといわれて、オレも疲れて、とにかくけえって来た、悪かった、オレ、なーんも知らねえで‥‥」
 金ちゃんを知る仲間たちは、彼らしい間違いだと、大笑い、大うけでした。
 
 口数の少ない金ちゃん。その口数の少ない金ちゃんが、あるとき、ポツリといった。
「家族たちが‥‥、なんしてそんなこというのか‥‥、オレのしゃべり方が変だと‥‥、息子の嫁も、まったくオレとしゃべらねえし‥‥、先生だけだ、オレを大切にしてくれるの‥‥、オレみたいなモンが、もったいねえ‥‥」
 “花柳幻舟”の誰にも見せない心情と、金ちゃんの心の中にある悲しみと劣等感、家庭内にあっても孤独感を常に抱え生活している自分自身と私とがどこかで重なったのか、私を身近に感じて、信頼してくれていました。
 十年前くらいまでは、電気の設備会社をやっていた金ちゃんでしたが、仕事の段取りをつけ、自分の仕事を従業員にまかせ、私のためによく働いてくれました、私を心底、打算もなく助けてくれました。
「金ちゃん、訛ってるで、きっちり共通語でしゃべりや!」
 と、からかう私は、関西弁丸出し。
 前歯の欠けた金ちゃんの笑い顔は、私の心を何度温かくさせてくれたことか。
 この世の中にいっぱい執着を持っていた金ちゃん、私にだけ語ってくれた夢があったのに、こうあっさり逝くわけがない! 金ちゃんはうっかり逝ってしまったのでしょう。
 金ちゃんの無償の愛に支えられてきた私は、またかけがえのない同志を失って、我が幻舟組も淋しくなってしまいました。
 金ちゃん、なんで先に逝ってしもうたんや! 戻ってきて!!



 金ちゃんは、私が仕事で長いあいだ東京を留守するとき、事務所の他の人に任せず自分で郵便物の転送係りを引き受けていました。
 そんなとき必ず一緒に同封されていたのが、上にある、金ちゃんがいつも趣味で撮影していたきれいな写真です。
 封筒の表には、「心のなぐさみに」とか、「憩いのひとときに」とか、「嫌なことは忘れて」などと、やさしいタイトルがつけてありました。