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<<下北沢でビートルズの哀愁に惑う>>





「ビートルズを愛するあまり……こんなこと
企画しちゃいました。 ビートルズを愛する
皆さまの為に〜」
 というカラフルなチラシをいただいた。
 私はずーっと以前から、ビートルズの曲を
自分の作品である舞台に使っていた。
 ビートルズの曲ならなんでも、結構面白い
場面を展開したものだ。
 しかし、私はロックシンガーは苦手。
 ジャカマシーイ〜ガラガラ声と、汗とばし
て、絞め殺されそうな、断末魔もかくやと、
もがき、顔をゆがめる、美しさのカケラもな
しでの舞台は、私はアカン、パス。
 だが、シンガーの永沼忠明さんがプロデュ
ースしているという今回のステージなら安心。
 というのも、以前、永沼さんのライブを観
せてもらっている。

 話を戻しますと、ヒョンなことで知り合っ
たシンガーの永沼さんは、ビートルズの曲を
特に選んで演奏。
 彼の声は、にごりのない、澄みきった発声。
 そして、彼のマネージャーをしておられる
方が、この世界で、そのお仕事には珍しい、
おっとりとした女性。
 ガサツな(いやいや、せっかち、またはイ
タリア系の)私からは、あこがれの、うらや
ましいマネージャーさん。
 なんとしても、永沼さんの声で、ビートル
ズの曲を聴きたい!
 そして、おっとりとした彼のマネージャー
さんである女性「SK姫}(私がつけた)に
も久しぶりに逢いたいと、向かうところチョ
ー雑踏の下北沢。
(前置きが長いワ!)

 スタッフが心配したのか、劇場や辺りがこ
まかく書かれたデッカイ地図を片手に、左や
右をキョロキョロ、うろうろ……。周りには、
「チョット〜、お尻、見えるで!」
 と、声をかけたくなるようないでたちの人
ら。ミニというより、フリルのついた下着パ
ンツのようなの穿(は)いてロングブーツの
少女。ネグリジェにシースルーのナイトガウ
ン姿のねえちゃん。
「こら! 昼間から寝まきかい!」
 と、心で叫ぶ。
 表現が実にむずかしい街の喧騒に、
 えらい所に迷い込んだ……いや、大丈夫。
 思い起こせば、ABCもおぼつかない頃だ
った。
 フランスへ、独り、取材を兼ねてカメラ持
って行ったことがある。

 飾り窓の女性たちを、身振り手振りで取材
もし、街娼の用心棒の頭やというコワおもて
のおニイさんにも、英語の単語と接続後は関
西弁、フランス語も入れたり、おまけにロシ
ア語までも取り混ぜて、通訳なしで取材して
無事ニッポンへ帰り着いた。
 それを考えれば、ここはニッポンや。な〜
んも心配ない。
 しかし、わけのわからんファッションと、
強烈な化粧品の匂いに、圧倒されたのは確か
だ。
 キョロキョロしていると、斜めになんか書
いてある肩ダスキをしたオッチャンが、私に
寄ってきて、なんか問いかけている。
 どうやら、迷子≠ノなった家出娘
(私のことよ)を案じて、街の美化運動や、
私のような迷子の安否などを気にかけてくれ

ているボランティアのようだ。
「どちらへ?」「あ、そう、あ、この地図、
そう、けどこの辺りはゴチャゴチャしていま
すからね……」「気をつけて、あの先を左に
……」「あ、私がご一緒しましょう……この
辺は……」
 この話を知人に話すと、
「オッチャンにナンパされたんですヨ」
「うそ〜 なんで?」
「やさしすぎですよ! そのオッチャン」
 ナンパか……古い響きやけど、なんや嬉し
かったりして……。
 ま、とにかく、そのオッチャンのお陰で、
事なきをえて、劇場に到着。
 劇場前に、マネージャーの「SK姫」が私
を待っていてくれた。もっと早く着く予定が、
わけのわからん面白い街をキョロキョロで、

思いのほか時間がかかった。だからせっかく
「SK姫」とお逢いできたけれど、開演時間
が迫って、話もロクロク。
「SK姫」が永沼さんに会うことをすすめて
くれたが、私などは、出演前には誰にも会い
たくない。同じ演者として、遠慮したが、楽
屋口へ永沼さんが出ていらした。その永沼さ
んと久しぶりにお会いした瞬間、彼から醸し
出すアーチストの光輝くオーラを、私は凝視
し、クギづけ。
 やっぱり彼は本物のシンガーだ、と再確認
しながら、客席へ。



 永沼さんの歌声に聞き惚れ、カメラのシャッターをすっかり忘れて、我ながらお恥ずかしい。
 永沼さんの色んな顔があったのに……(当たり前や
ザンネン!!
 久しぶりに、こころ豊かにさせていただいた永沼さんのライブステージ。
 来て良かった……。



(撮影・幻舟)
<永沼忠明さん>のプロフール
永沼忠明
 
(職業:ポール・マッカートニー)
 1982年ビートルズ業界デビュー。
 1997〜98年、 二年連続アジア代表として、ビートル・コンベンションから招待を受け、初のストロベリー・フィールズ、アデルフィー・ホテル・メインステージでの演奏に絶大な評価を得る。その功績を認められ、第二弾「Wishing」オリジナルCDをロンドン・アビーロードスタジオにてレコーディングする。その後世界各国からの招待演奏も多数。/Wising時代
 現在も、ソロライヴをはじめ、多彩なショーを展開。各地で精力的に活動を続けている。(公式プロフィールより一部抜粋)



 この日のゲストは、“カブキロック”のボーカル、
 氏神一番(うじがみ いちばん)さん。
 歌舞伎舞踊の
石橋(しゃっきょう)、『猩々(しょうじょう)などでご覧になった人もいるかと思われますが、ロックにはピッタンコのコスチューム。
『石橋』でいうなら、親獅子の真っ白の頭(かしら)をかぶってのロッカー、アイデアは見事。
 それも、氏神さんは単にコスチュームだけのこけおどしではない。
 舞台をごらんになれば、その実力は、なにおかいわんや。
 舞台マナーも、今どきのロッカーではない。
 実力と共に磨かれた本物のシンガーだと、私は見てとりました



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<チカンに投げたハイヒールが命中!>

 人は、ひとりでは生きていけないという。
 けれど、長じて、社会の中で生きるとき、友人や周りに様々な仕事仲間などがいたとしても、最後の最後なにごとにおいても、たったひとりで決意や責任を取り、たったひとり、孤独感を抱えて、生きていかなければならないと、私は考える。

 もっとはっきりいうと、以後は、たったひとりであると覚悟して生き、そして死ぬ。
 やっぱり人はひとりであるということだ。

 人間のコワイもの? と問いかけてみると、やっぱり死ぬことのようだ。
1=死ぬこと
2=警察
3=裁判所 → 刑務所
 と、なるそうな。
 しかし、市井の人々でさえ赤面するハレンチな犯罪を犯している警察官や、裁判官、刑務所職員、そんなヤカラが牛耳る場所、な〜んもコワクないと、私など思うのですが、やっぱりコワイらしい。
 このあたりをクリアすれば、ひとりでも生きていける。
 人間の感情というものは、物理的に計算できない繊細なもの。
 孤独感を抱え、たったひとりで生きていくのは苦しい。
 疎外感との闘いは、なまなかなものではない。

 逝ってしまった私の母が、
「こんな歳まで生きるとはなア〜、考えてもみんかったワ……」
 と、口ぐせのようにいい、90歳に1つ足らないだけの年齢まで、筆舌に尽くせぬ人生を元気に生き抜いた。それもたったひとり、孤独を友だちに……。

 不慮の死や、自死を覚悟して、そのときどきを力の限り生きる、それが私の人生だ。

 強い人生観を持っている私には、「鋼鉄の女」に見えるのか、人はなかなか寄りつかない。そのせいか、嬉しいことに、私には友はほどんどいない。
 おかげで、多く語らずの、やさしい心持ちと、人としてまっとうに生き、情こまやかに持つ人らの支えは、実に私を力強くさせてくれている。それらの心やさしい人を思うとき、人はひとりでは生きられないのだと、私は時として実感するが、ぶれっぱなしの利用主義者は、私にはいらんのだ。

 シンガーの永沼さんとマネージャーの「SK姫」とのご縁ができたのも、不思議な話。
 私にとって、人生、まんざらでもないなア〜と思わせてくれる出会いだった。
 人間、生きていてこそ。死んだら、ベッピンも男前も、単なる死人(しびと)。
 生きてると、結構面白いことに遭遇するもの。

 ほん最近、前を歩く老女のバッグをひったくって逃げるオッサンに、走って追いつき、回し蹴りを相手の腰に一発。力を込めて、ひじでオッサンの鼻、一発パンチ! オッサン、う〜っと顔を抱え座りこむ。無事、バッグは持ち主の手に戻った。
 こんな面白いこと、生きていてこそや!
 露出のチカンに、ハイヒールを頭めがけて投げ、見事、後頭部にドカーンと命中(コントロールのよさに、我ながら驚き)、エロ男を捕まえたのも、生きていればこそ。
 人生を楽しく、いやがられながら、もう少し、興味津々で、生きてみるか……。