トピックス



旧松本区裁判所庁舎

撮影・幻舟

(現在、長野県松本市が管理運営)


 先だって、仕事で松本へ。
 かねてから聞き及んでいた司法博物館へ行きました。
 聞くと見るとは大違い。やっぱり現物を見なければと、つくづく感じさせてくれることしきり。


 1977年に松本地方裁判所が現在の位置に新築され、旧裁判庁舎が解体されることになったとき、「松本市の文化財を守る会」が結成。保存運動が広がり活発になったという。
 その運動の広がりによって、復元を目的に解体し、現在、旧庁舎が再現されたという。(「松本市歴史の里」リーフレットより)

 松本市歴史の里の内部施設は、
・旧松本区裁判庁舎
・旧松本少年刑務所独居舎房
・武家住宅
・工女宿宝来屋(山あいの宿屋)
江戸時代後期に野麦街道沿いの川浦に旅人宿として建てられた。
のちに明治〜大正にかけて飛騨〜諏訪、岡谷の製糸工場に向かう工女の人らが宿泊したという。
・旧昭和興業製糸場
大正時代に建てられ、1995年まで使用。
 付帯施設として、川島芳子記念室(少女時代に松本市にいたという)。

 てなぐあいに、結構さまざまな(記念?)施設があったが、私としては、初めから旧松本少年刑務所の舎房を見学する目的で行ってきました。



撮影・幻舟

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、扉の横に切れ込みが見えます。
これは房の中から拘禁者が看守を呼ぶための報知器です。
看守が巡回の時、ここから房内部を覗く

 1926(大15)年築造され、1989(平2)年まで松本少年刑務所として収容者を入れていたこの施設。<1994(平6)年に移築>

 この布団と枕のしまい方では減点か!
 減点が重なると、懲罰につながります。

撮影・幻舟
 独居房収容施設に一歩踏み入った時、私の全身を得体のしれない空気が包みました。
 人間の記憶とは鋭いものです。
 一瞬にして過去の思いに引き戻してくれることを実感しました。
 私の脳裏から刑務所の匂い、いまだ消えず、だったのです。


撮影・幻舟


 上記『独居房』の写真。えっ!? と思うほどの雑居房。少なく見ても14〜15人か。
 『雑居房(定員3)』と写真でもうたいながら、この人数。


 いったん収容施設に入ったら、人間扱いは皆無。この劣悪な環境で、なにをどう更生、育成ができるのか。
 日々、人間性を剥ぎ取り、「更生」どころか、むしろ孤立と孤独の淵に叩きこまれます。
 日本の刑法は、罪と罰の法律です。ですから、少年収容施設も同じ。
 少年法では更生、育成を旨としたものですが、この写真を見て、皆さんどう思われますか。
 長期刑になろうものなら、自主性を失い、他者の指示や命令(看守が自分たちの仕事をスムーズにするため、徹底的に収容者を縛りつけます)に従う人間に改造されていきます。
 規則には従うが自己を失わないようにするには、よくよくの強い信念と、出所してからの夢や希望を持たなければなりません。
 収容体験者の私としては、外に出た途端、夢や希望をぐちゃぐちゃに崩されてしまう現実に直面しましたと、付けたしておきます。

 哀しい話ですが、家族のため法を犯し、刑務所に入り、やっとの思いで出所して、家族から余計者扱いされ、家にも居つけないという仕打ちに落胆を重ね、自殺した人もいます。

 受刑者は、三食喰えて、何からなにまで刑務所(すなわち国から)面倒見てもらっているかのように一部マスコミは報道していますが、受刑者は作業して(刑務所にはさまざまな企業から仕事が入っています)稼ぎ、そのあがりは刑務所(国)に入金しています。受刑者はきっちり、しっかり働いているのです。

 受刑者が出所するとき、<作業賞与金>としてくれますが、びっくりするような少なさに驚かされます。
 まるで悪徳芸能プロダクションか! と、当時思ったのを、今も覚えています。
 どうぞ、単にタダ飯喰いだけで受刑しているのではないことを知っていただけたらと、念のために付けたしておきます。