この前、熊本に行くため羽田空港を利用しました。
いつも通り、『ハイジャック防止』という大義のため、飛行機内持込み手荷物、身体検査を徹底的にチェックされました。
私の真ん前の若い男性のチェックを見てビックリ。私も相当の頻度(ひんど)で各地の飛行場を利用していますが、クツを脱がしてのチェックは初めて見ました。それも、物陰でなくゲートの入り口、すなわち不特定多数の大勢の人たちが見ている場所でです。チェックしている空港警備側の方は、『ハイジャック防止』という大義があるのか、一点の曇りもなく、堂々たる対応です。ま、このやり方にも大いに問題がありますが、大通りのような大衆の面前でクツを脱げと言われて、深く理由の説明も聞かず、“ハイ!”とばかりクツを脱ぐ‥‥。理由はわかっていても、せめて必ず係官に説明をさせ、手間ひまをかけさせる、市井(しせい)の意地とプライドではないでしょうか。この人の対応に私は恐ろしさを感じました。
『ハイジャック防止』という大義については異議はないけれど、せめて協力をしてもらう人(乗客)に対する心づかいがあってしかり、他の人の目を少しは配慮した所、小さなつい立く |
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らいあっても当然。こんな場所でクツを脱げと言われて脱ぐ神経、双方共にとても民主主義国家の人間とは思えなかった。
制服を着ていたり、ある種の権力を持つ人間のいいなりになり、なんでもかんでも『ハイハイ』では、危険だなァ‥‥と、畏怖したのです。
ずーっと以前、戦争に召集され戦場に行った人の話を聴いたことがあります。
「いやあ、若い人にはわからないからネ。戦時中はノーはいえなかったんですよ」
それは違う! 100歩退いて、その言葉をのんでも、今、戦時中でもないのに、国家に対してノーといえない人間の、なんと多いことか‥‥。
たかがクツぐらい? いや、私は断固として違うと思いました。 |
羽田空港にて< 撮 影・幻 舟 > |
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近ごろ住宅街のちょっとした空き地に、下記のような立て看板をよく見かけます。何の気なしにポイっと捨てる心無いヤカラたち。この不法投棄の看板をよく見てください。結構罪は重いのですよ。私の住んでいる近所でも、みなさん迷惑しておられます。
私がいうのもおかしいかもしれませんが、「公徳心」とか「恥」とかといったものは、言葉だけではなく、精神そのものがまさに死語になってしまったのでしょうか。
人の迷惑かえりみず、という人間があまりにも多すぎるし、見て見ぬふりをする人が増殖しているように感じます。
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