連続15年間公演! | |||||||
私の常打ち小屋“落城” | |||||||
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作品の台本、演出、音楽選曲、舞台美術、小道具、衣裳製作、全食事の料理人と、私の仕事は休む間もなく段取りよくやらなければなりません。 当然食材等の仕入れは開演日の3日〜4日前。アシスタントと一緒に、芝居小屋から50分ほど離れた町に買い出し。下ごしらえをして、冷凍にできるものはそのように準備。 東京の事務所で舞台大道具の仕込み、稽古日、料理メニューなどすべて予定表に書き出して、タイムスケジュールの通り、料理の下ごしらえと並行して舞台美術にかかるのです。 |
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脚立の上にいるのが私ですよ。 |
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『うらおもて桃太郎の不思議』から |
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夏は38度以上はザラ、猛暑の山形県だけど、特に芝居小屋のあった大井沢地区は山に囲まれた風通しの悪い盆地で、空気がきれいだから太陽直撃。 冬は2〜3メートルは当たり前、4〜5メートルにもなる豪雪地区。 |
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(撮影・幻舟) |
私の創作活動を支えてくれた、唯一の自由の表現空間、常打ち小屋が単なる瓦礫(がれき)と化して消えていく、儚(はかな)いものですね。 |
身勝手で、熱しやすく冷めやすい、真から冷たい役人根性そのものの町役場の対応に腹立たしいことも度々。 自分を含めて様々な思いを私にくれた私の常打ち小屋もわずか7日間の作業で、まったく何もなかったかのように消え去り、元の更地となりました。 |
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「人生わずか五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり‥‥」 |
ということですかねえ。人間どんなにがんばっても自然の驚異の前では、ちっぽけなものなのです。 |
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“落城”から早いもので、もう7年。 手続き等で久しぶりに行った、元芝居小屋の跡地。 父、嵐 家三郎の大好きだった隣家にそびえ立つ大木に、白鷺(しらさぎ)らしききれいな鳥が飛来し、微動だにせず、私を見下ろす。 名残惜しそうに。
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豪雪によって壊滅した芝居小屋。 解体工事は、私たったひとりで近くの民宿泊まり、現場監督をし、つつがなく片付けました。しかし、周りの村人は顔を出さない。 芝居小屋をやっているころ、私たちに野菜などをくださるご近所の人たちは何人かいました。 しかし、その野菜を届けてくださるときの雰囲気が妙で、どうして隠れて来るのか、ある“バアチャン”に聞きました。 |
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<山形 大井沢劇場にて新しく創作した作品の一部としては> |
☆創 作 ・ 石 橋 ☆蒙 古 襲 来 ☆浪 曲 ・ 滝 の 白 糸 ☆う ら お も て 桃 太 郎 の 不 思 議 ☆幻 舟 天 竺 へ 行 く ・ 西 遊 記 ☆七 変 化 日 本 名 場 面 の 一 部 始 終 (その他) |