今年も1泊2日で父に会いに行き、母のところへも行ってきました。お墓参りとお寺参りですよ。 私の幼い頃、父と母は離婚していましたので、亡くなって眠るところも、230キロは優に遠く離れた場所です。 父の遺骨は、本家(『家制度』はよくわかりませんが、父は一番末っ子で、分家の子になるんだそうです)の大きなお墓の中に分骨して入れてもらい、半分の遺骨は永代供養で、私の弟が眠る、京都のお寺さんに入っています。 季節は決めていないのですが、仕事の都合を見つけ、みじかい、ひとり旅を毎年します。 毎年のことながら、時刻表を広げて、 “これにするか? この電車にするかなあ…” と、ひとり、時刻表で、スケジュールを作るとき、父も母も、幼いとき極貧の旅回り先で亡くなった弟も、私の身近にスーッと近寄り、現在 家族や肉親の情など、ほとんど“ご縁”のない私ですが、まるで家族会議をしているような、私、たったひとりなのに、急に、部屋中がにぎやかになる感じで、ある種、至福のときを過ごします。 このパートナーのお母さんが私は大好きで、2泊もさせていただきました。 おっとりしたものいいで、静かに時間が流れる、そんな空間を作ってくれる、70歳半ばくらいかな、美人のお母さんです。 「ひとり暮らしで食事、淋しいねエー」 と、私をいたわりながら、小さいお声でつぶやいておられました。 「ひとりで食事、あんさんも淋しいやろ? けど、ケッタイな男と一緒では、苦労させられたり、いまさら気苦労もなア〜。引っかかったらあきまへんデ。けどなア〜」 と、母らしい質問と答えを繰り返し、きっと自分自身に問いかけ、答えていたのでしょう。 |
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山口県の2泊は、まるで母と過ごしているような、静かな、温かな、人の情を呼び起こしてくれる時間でした。おまけに、同居しておられるご家族が、ベタベタした雰囲気も一切ありません。 私自身の勝手でしょうが、“家族ぐるみで団欒(だんらん)のひとときとやら…”そういう場面を見るのが一番いやです。それはどうやら、幼い頃のトラウマなのか、居心地が悪くなってしまいます。 |
海がそばで、魚市場も近くにあったりして、 お魚好きの私としてはまるで、天国の2泊でした。 |
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キーの高いキャンキャン声で、わけもなく吠(ほ)えまくる。 特に私をめがけて追いかけてくるんです。おまけに、すぐ、噛みつくとか。 大型犬は大丈夫だけど、キャンキャン声の、落ち着きのないこの手の犬は、私、ギブアップ。 |
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