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小学校中退で、学校にはほとんど縁のなかった私には、学友や、幼なじみの友という人は、まったくの皆無。
現在、仕事で出会った方も、そのときそのときの関わりであり、仕事が終われば、以後、濃密な友情等へ進展することは、まず無きに等しい。
ここ10年、講演など、思い起こしてみると、数えきれないお仕事をいただき、従って数えきれない人たちとの出会いがあったはず、ですが、仕事を終えたら、それで終わり……淋しい話ですネ。
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先だって、大分市職員への、人権問題の研修講師として招かれ、行ってきました。
飛行場を出ると、“季節感”豊かに、栗のイガグリのようなヘアスタイルにスーツ姿の男性が満面の笑顔で、立っていた。
私のお迎えに、教育委員会の方が来て下さることは、前もって打合せ済み。しかし、これまで教育委員会の職員さんのお迎えはごまんとあったが、このクリクリ頭の男性のような、心からのやさしい笑顔は、緊張のあまりか、ほとんど見かけなかった。
私は、初めて会った人とは、身を構え、ハリネズミ状態で、全身アンテナを張りめぐらし、観察する。数々、人間によるひどい仕打ちを体験してきたからか、私は、動物、野生の感性を失わず、相手を観察することを大切に生きてきた。
話を戻します。
イガグリ君(ゴメン)は教育委員会の教育部で人権等による指導主事という役職らしい。主に学校で、教師だけでなく子供たちとも接して仕事をしている。私の講演のあとも宿泊所まで同乗して下さったイガグリ君。
私の講演の内容と、自分の仕事とが重なる部分を発見したと、感動しながら、満面の笑顔とともに、目をキラキラさせ話してくれた。
感性豊かな人だからこそ、人の心を真からなごませてくれる笑顔があるのだと、久方ぶりに嬉しくなった。
よくある事ですが、講演が始まると、延々主催者の話があり、エライさんが、これまた心ここにあらずで、ひどいのは、原稿を読んだりするところもあります。
ですが、この日の講演では、一切それらもなく、私のパワーに火をつけるかのような、地元で起きている生の話を聞いた。
芸人の私でさえ納得させる、段取りのよさ。これは、キャップを務めてくれた職員の実力だと推察する。
私は、90分の予定が2時間の講演となってしまった(ゴメン)。
しかし、聴衆の方たち、誰ひとり微動だにせず、真剣に最後まで聴いて下さった。実にありがたいことでした。 |
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私の著書『逃げたらあかん!』(KKロングセラーズ)の中に、出会いのエピソードも書きましたが、男性たちの中で必死に、反差別と人権闘争をしていた彼女は、決して弱い部分を他者に見せず、全力疾走しておられた。
その彼女が、この8月、あっという間、ウソのように逝ってしまった。お付き合い、わずか6年と少し……。
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私には、わが身を見る思いで、彼女と向き合い、互いに心を開いて、まるで姉妹のような気持ちで、お付き合いが始まった。
上からの目線ではなく、物心共に、私は彼女に、大きく助けてもらった。 |
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彼女が、時おり行ったという大分市内にある、彼女の自宅から10キロ〜15キロ奥に入った、九酔渓(きゅうすいけい)に、彼女を偲んで、行ってきました。
あの橋の向こうから、彼女がヒョッコリ、現われそう……。何度も、そんな想いにとらわれたりして。
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