姫 三太夫でござりまするぞ!

【第三十八幕】










 
この物語は、事実に基づき(?)ながらも、大胆かつ壮大に時空を超えた歴史ワールドなのである。
 笑い、時には怒り、また時には涙なくしては読めぬという空前絶後、絶体絶命、以心伝心のパラレル・ショートストーリーともいえる!
   登場人物
    
 (幻舟)
   
三太夫(パラワー人)


姫! 三太夫でござりますぞ! 三太夫は戦場ジャーナリスト・安田純平さんへの、世間の無責任な批判にアッタマにきておりまするぞ!」 

またか……、三太夫。テレビのワイドショーを見ては生半可な知識で勝手に憤慨するのは、そちの欠点じゃ。その憤懣(ふんまん)を姫にぶつけてくるなど迷惑じゃ。もう気が済んだか? 気がすんだらさっさと自分の仕事に戻れ」

姫! それはあまりにも冷たい! 三太夫には、まともに話を聞いてくれる友達なぞ おりませぬぞ!」 

哀れなオッサンじゃな。不憫じゃ。ま、いうだけはいうてみい、聞いてつかわそう」 

テレビでコメンテーターたら、解説者たらなどという者たちが『もし、これが事実だとしたら大変なことですねぇ』などと、したり顔で言っておりますぞ! 三太夫はこんな言葉を聞いたら怒りで体が震えまする! 事実かどうかを調査して報道するのがお前らの仕事やろぉ! 自分を部外者として責任の無い場所に置き、小学生でも言えるようなコメントを言っては高いギャラをもらう。不埒憤妙、不埒不体(ふらちふんみょう、ふらふったい)でございますぞ!」

三太夫にしては難しい言葉を使うな。おおかた落語で覚えたのであろう。米朝師匠の『たけのこ』という噺で出てくるな、その言葉は」 

ムグッ! …… そんなことより、三太夫は怒っておるのでございまするぞ! 日本の無責任なコメンテーターなぞは皆、お悔やみコメンテーターでございまするぞ! お通夜などで、上手なお悔やみというのは『何か喋っているが、何を話しているかよくわからない』これでございますぞ! テレビではよく『もっと検討しなければいけませんね』とか、『慎重な対応が求められます』などと言っておりますが、これこそ、何か喋っているが何を話しているかよくわからないコメントでございまする! まず、『問題点がどこにあるか明白にできない』『何かするのは他人だ』『自分には責任がない』 無責任の極みではございませぬか! それでいてコメント料を得ているのでございますぞ! 今の若い人は正社員にもなれず、派遣や契約社員など不安定な立場で薄給にあえいでいるというのに、コメンテータたら解説者たら……」 

こりゃ、三太夫。顔が真っ赤じゃ。興奮しているのは分かるが、話があっちゃこっちゃじゃ。何が言いたいのじゃ?」 

姫! 三太夫は憤慨のあまり、息をするのを忘れておりました! スーハー、スーハー……、やれやれぇ。エェーと、そうそう。その無責任な輩が安田純平氏のことを、やれ自己責任だの、身代金がどうじゃのと批判しておるのに憤りを感じておりますのじゃ!自分たちは安全な場所にいるくせに、生命の危険を顧みず紛争地に赴く真のジャーナリストを批判するなど三太夫は許せないのでございます! 現地に赴き、その土地や人に触れ、初めて悲惨な実態の報道が出来るのではございませぬか! 記者クラブなどで出来合いの情報をもらって記事にするなどはジャーナリストではございませぬぞ! 御用聞き記者でございますぞ! これでは、 お寺の境内で餌をもらっているハトと同じでございまする! 事件は記者クラブで起きているじゃない! 現場で起きているんだ! でございますぞ!」 

三太夫、それは『踊る大捜査線』の名セリフからのパクリじゃ」 

姫! 三太夫は世間で起きている事件の本当のことが知りたいのでございます! 事実を調べ、たとえそれが権力者に都合の悪いことであっても勇気を持って報道するのが真のジャーナリストではございませぬか! それを、お悔やみコメンテーターが、したり顔で体を張ったジャーナリストを批判するなぞ……、三太夫は許しがたいのでございます!」 

安田氏にしても、渡航禁止の地域に行ったことへ、安全地帯にいる人々からは批判もあろう事は充分理解しておられる。三太夫の怒る思いは、もっともじゃ」

姫! 最近は何かと言えば自己責任という言葉が乱用されておりまするぞ! 自己責任、すなわち全責任はあなたにありますよぉ。私には責任はありませんよぉ、ということではございませぬか! この自己責任論者には自己責任という言葉の意味がわかっておるのでございましょうか? 人間、生きている以上は全てにおいて自己責任ではございませぬか! なにかと言えば社会が悪い、政治が悪い、教育が悪いの批判ばかり。これらは与えられた環境、その環境の中で自分は何をするのか、全て自己責任で判断し行動するのではございませぬか! 『自己責任』と言うのは、人様に責任を転嫁するための言葉ではございませぬ! 批判、批評だけでは世の中は良くなりませぬぞ! 危険地帯に身をさらす勇気あるジャーナリストがいないと現地の実際の状況は伝わってまいりませぬぞ! 暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう、でございますぞ!」

三太夫、それはラジオ番組『こころのともしび』のパクリじゃ。良い言葉であるがな、パクリはいかん。で、話が分かりにくいが何が言いたいのじゃ?」 

姫! 三太夫の話は縦横無尽でございますぞ!」

三太夫のは支離滅裂と言うのじゃ。自分のことをよい方に取るのではない。喋るだけ喋ったら、もう気が済んだか? 気がすんだら自分の仕事に戻れ!」 

姫! 質問がございますぞ! 自己責任とは何ぞや? 姫はどのようにお考えで?」 

三太夫!! 久方ぶりの賢(かしこ)スイッチ・オン! じゃのう~ うい奴じゃ~。
 では、答えてとらす。
 そもそも“自己責任”という単語が流布したのは2004年。
 イラクでのボランティア活動をしていた3人の日本人が武装勢力に拘束された。その3人を解放させるために、いかにすべきか等々の議論が国内外で沸騰した。
 その時に『自己責任論』が、あっちゃこっちゃで、小さな噴火山のごとく噴出したのじゃ。
 当時、突出した『自己責任論』。
 首相であった小泉純一郎が“自己責任論”を正義といわんばかりに、3人のニホン人を軽率な行動と断定的に発言。小泉政権下で、政権側である与党が一環となって吐露した。
 当時、環境相だった小池百合子(現・東京都知事)が一番バッターとなった発言は、
“無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い”
 この発言を皮切りに、小泉純一郎首相へ続けといわんばかりに、2番バッター、3番バッターと、閣僚が“自己責任論”を正当化せんとばかりに、国政あげての大合唱。
 それによって、今日『自己責任』という単語が定着したようじゃ。

 しかし姫は、この“自己責任”という言葉が、さも正論のように使われていることに大きな問題を感じておる。
 当時、アメリカの国務大臣だったパウエル氏が、『彼らを誇りに思う』おまけに『イラクに派遣された兵士がいることを日本の人々は誇りに思うべき』
 オイオイ、誰のせいでイラクを危険な戦地にしたんだよ! と姫は思うがのう。
 どこの国にも、現場に行かず、地図の上で指揮する“背広組”は、口先でなんでもいえるのじゃあ。

 このたびのフリージャーナリストがシリアで武装勢力と思われる人らに、長期間、拉致拘束された人へのコメントを見ていると、姫は怒りよりも、あきれ返って、ひっくり返る思いじゃあ。
 解放時、テレビのニュースでは、『自己責任』など、ひとことも出なんだ。ところが、ネットでことの真偽もなく、面白半分にシャベリまくったのをきっかけに、アッという間に『自己責任論』がふたたび流布し、それを受けてテレビでもアッという間に各局が報道。
 もちろん、しっかりとしたコメントを出している人も数少ないがいた。
 ジャーナリストとは、いうまでもなく国家権力が発するニュースではなく、自分の目で、自分の肌身で感じ、それをつぶさに報道する、それがジャーナリストの仕事、使命でもある。

 “ジャーナリストとしての気持ちはわかるが、やり方が??”
 といった文化人(?)という人間の言葉に、姫は大声をあげて笑ってしまった。

 今を去ること30年あまり以前、某舞踊家が家元制度の不条理に対して非合法行動を起こしたそのとき、口をそろえて、文化人(?)や評論家(?)等々が、吐露した言葉と同じじゃ。
 “気持ちがわかる”、気持ちが理解できれば、それに伴う行動も想定できるはず。従って、行動も理解できるのじゃ。
 ま、なんとか、その非合法行動を起こした舞踊家と一線を画しておきたいのであろうが、いたって醜いおよび腰、『共犯』になりたくなかったのであろうが、あわれな自己保身、かなしい日和見主義じゃのう。

 姫は、記者会見をしているこのジャーナリストをテレビのニュースで見て、いまだニッポンも根こそぎ腐ってしまってはいないと、心強い魂にふれた思いであった。
 彼のジャーナリストとしての主張も、そして他者がいう『自己責任』の言葉も冷静に受け止めて、だがジャーナリストとしての本分を述べていることへ、姿は実に凛々しく勇壮であった。
 
 深刻なテーマでも、くだらぬジョークで場を盛り上げようとする今日のテレビ番組の制作姿勢、演出の薄っぺらさに、ここまで卑しくなってしまった現実に、姫は切なくなるばかりじゃあ。
 凛とした、自分の言葉で自己主張をすることで、次の仕事が来なくなったらと、頭の中で計算でもしているのか、いや、その計算さえできずに、場の雰囲気に合わせ、流されてしまっているか、姫は、後者であろうと考える。
 目先の欲におぼれるだけでは、いずれ己の罪悪に身を滅ぼす。
 ― 鉄は己の出すサビによって鉄を滅ぼす ―
 すなわち、簡単にいうと、身から出たサビじゃのう。
 三太夫も、よく身に問うてみることじゃのう。

 正義と真実は違うのじゃ。
 人それぞれの正義はあろう。しかし、真実は一つ。必ず真実は浮上し、真実は誰の目にも明らかになろう。
 三太夫! 真実を見抜く目を磨くようにのう

☆     ☆     ☆     ☆


【三太夫覚え帖】 
「そうかぁ。『自己責任』と言う言葉にはそんな歴史があったのかぁ。勉強になるわい。だいたい、簡単に自己責任と言う輩は信用できんわい。 
 あっ! そうじゃ! 興奮して忘れておったわ。村の庄屋から最近、イノシシが出没し畑を荒らされて困るという訴えがあったな。鉄砲隊のご出陣を、と頼まれたがなぁ…。鉄砲は、とうの昔に売り払ったし、槍も刀も3カ月で質流れしたし…。素手でイノシシに立ち向かう勇気はさらさらないなぁ。そもそも自分のとこの畑が荒らされているんじゃから自分で作物を守れよ、鋤も鍬も武器になるぞぁ。そうじゃ! 自己責任で何とかせいと言うてやれ! うん、うん、この手に限るわい。」

姫! 三太夫でござりますぞ! 三太夫は毎日、怒り心臓でございますぞ!」

それをいうなら、怒り心頭じゃな。どうせ暇つぶしにテレビのワイドショーでも見て怒っておるのじゃろ」

ムグッ! 図星!」

テレビなど見ている暇があったら家老職の仕事をせよ。もっとも三太夫がおらぬ方が作業が、はかどっておるがな。滅多に登城せぬ三太夫に代わりに決裁書類のハンコは小姓の蘭丸に任せておるが、家臣からは好評じゃぞ。部下が企画書を出しても、三太夫のコメントは『頑張ろう』と『同感』の2種類だけじゃ。しかし蘭丸は的確なアドバイスを書いておるぞ。とても参考になると臣下が喜んでおるわ。蘭丸に家老職を任せるかのう……」

姫! 家老は経験と品格! 若い蘭丸にそのような力は……」

三太夫のどこに経験と品格があるのじゃ? その点、蘭丸はインテリの上に物腰も柔らかく言葉使いも丁寧じゃ。仕事もできるしな。家臣だけでなく腰元の評判も上々じゃ。セクハラ・パワハラの三太夫とも大違いじゃ」

姫! それはさておき、三太夫はワイドショーを見て、怒りが収まりませぬぞ! 政治家の腐敗。国家を預かる行政トップの腐敗。警察の不始末。スポーツ界の不始末。しかも問題を起こしているのは権力のトップですぞ! いったいぜんたい、こんな不埒(ふらち)なことで人の上に立つ資格がございましょうか! 三太夫は、これを権力の根腐れと云っておりまするぞ!」

三太夫、どの口がそんなことを言わせるのじゃ? いまさっき、蘭丸の話をしたばかりではないか? 人の振り見て我が振り直せということわざを知らぬのか? まさに三太夫のためにあることわざではないか? 家老職という地位にあって、人様の不始末を見てわが身を振り返るということは無いのか?」

ムグッ! フグッ! 姫! 質問がございまするぞ!」

ほら~きた! またいつものパターンか。まぁ、良い。聞いてつかわす。何なりと質問せよ」

姫! 今、日本国では不埒な事件が続出ですぞ。メーカーはデータ改ざん、体操・アメフト・レスリングなどのスポーツ界でもパワハラ問題のオンパレード。官僚は地位を利用して裏口入学だの接待だのと私利私欲に走り、中央省庁でも障がい者雇用の水増し。それをマスコミは、事件を面白おかしく報道し、コメンテーターはありきたりのコメントを連発。
 これは一部の人間、一部の団体の問題ではなく、日本全体で根腐れが起こっているのではございませぬか! 犠牲になるのはいつも立場の弱い人、そして負の遺産を押しつけられる若い世代ですぞ! 三太夫はもう、怒りで目も見えなくなる程でございますぞ! なぜ、こんなことになってしまったのでしょう? どうすれば良いのでございしょう! 姫のお考えをぜひ、お聞かせ下さいませ!」

三太夫は、どこか憎めんオノコよのう~と、そなたのことを想い描いてみると、ケロッとしたところと、妙に熱血だったりと、ま、早い話……ワケワカラン……オノコよのう~。
 さて、三太夫の問いかけに、あれこれひとつずつ答えてやりたいが、三太夫の問いかけすべてに通じるものがある。それをまとめていうと、ニッポン人が元々持っていた『恥意識』が、ここ5~60年ほどの間に摩滅してしまった。
 『恥意識』の中には、人としての人情、義、論理的思考、他者に対する遠慮や思いやり……等々、いまさら口に出して言うのさえ、姫は恥ずかしい。
 『恥意識』をいつの間にやら失ってしまったのは、戦(いくさ)というのか、ま、早い話が戦争じゃのう。
 国家のためと、ひもじさにも耐え、大切な人を失い、犠牲に犠牲を重ねた結果、敗戦!!
 『耐えがたきを 耐え!』と、エライ人の一言ですべてパー。耐えがたきを耐えたのは、無辜(むこ)の民。
 弱い人間ばかりが耐え抜いて生きてきたのに、エライさんの一言で、な~んもなかったこととなった。
 あの瞬間に、ニッポン人の多くの人々は、自分あっての他人や、いや、他人は他人や! とにかく強者になること、強者になって自己を守る、自己本位でなければ、誰も助けてはくれん! と、敗戦の結果、真から我が身に染み、応(こた)え、生きぬいてきたのじゃ。
 その結果、自分に甘く、他者には無関心、簡単にかいつまんで言うと、ここであろう。
 言葉も貧しくなった。“ヤバイ”と一言で、どんなときでもこれのみ。怖いときも、美味しいという気持ちを表すときも、なんでもかんでも“ヤバイ”。心が貧しいのう。
 しかし、姫は、こう考えるのじゃ。
 他者よりも異常に多く、他者よりも大きな家を、他者よりも、他者よりも幸せにと、目先の欲にかられている人間は、これから先、もっともっと増えていく。
 今日の現実を見ていると、心の貧しい薄っぺらな世の中に日々、見える。
 観光立国と銘打って、国家のスケジュールに乗せられ、金儲けに、血眼となっているあさましい自己主義者の未来は崩壊の道を、すなわち、まるで坂道にボールを転がすように、ゴロゴロと音を立てて落ちて行く。

 この夏、異常な暑さに、
『生命に関わる危険な暑さです、クーラーをつけてください!』
 と、連呼する報道。
 国民年金とやらのわずかなお金でつましく生きている年老いた人に、“クーラーをつけろ!”と平気で広報する前に、考えなければならんことがある。クーラーを買う金はどこにあるのじゃ。電気代を誰が払ってくれるのじゃ~。
 姫は大声をあげて言うぞ!「ヤバイ!!」
 クーラーなしで熱中症とやらで、いっそ死んでしまいたい。こんな無責任で薄情な国に生き長らえるならと!
 先だって、姫と同じ言葉を発して、泪ぐんでいたご老人がいた。三太夫、これは「ヤバイ」ぞ!

 財務官僚の局長が、国会証人喚問で引っぱり出され、様々の質問に対し、『法に触れるから……』と、証言を拒否した。本人自身、悪事に手を突っこんだという意識があったのだろう。
 そこで、大阪地検が関係省庁のガサ入れ。物々しくパレードしてみせたが、“証拠不十分”で不起訴!!
 市井の人々の税金をごまかし、私したのに、本人罪の意識もあるのに……それでも地検は証拠不十分で御赦免か!

 昔、こんな唄があった。
『♪嬉しがらせえ~て~ 泣かせて消えたァ~』
 こんなんばっかり繰り返していくと、先に姫が述べたように、自己主義、恥知らずの文化となっていくのじゃ。
 ああ、いかんいかん、今日の姫はやや感情的になりすぎた……。
 三太夫! よいな、世の中は一人の人間が動かしているのではない。
 他者がいて、自分が生きているということ、そして『恥意識』を忘れぬようにのう~」


☆     ☆     ☆     ☆


【三太夫覚え帖】
「なぁるほどなぁ、姫のご意見はいつも参考になるなぁ。 恥意識が無くなったとか、人より良い暮らしをしたいという自己中心の考えとか、他の人がいて自分が生きているということかぁ。すなわちこれは、人様のことを考えず自分中心の考えが浮かんだ時、それを浅ましいと恥じる心が必要と云うことじゃな。よし、三太夫は姫のお言葉を肝に銘じ、今日から正しい心で生きるぞ!
 おお! そうじゃった! 姫のお言葉に感心して、すっかり忘れておったわ!
 今日は花柳商店街で宝くじを発売する日じゃ! 一等賞は百万円であったな! 家の冷蔵庫が壊れて困っておったのじゃ。テレビも買い替えたいしな。サイクロンの掃除機もほしい。家電製品を買い揃えたら、残ったお金でチャバレーにでも行くか! よし、宝くじ売り場に一番に並ぼう! 先に並んでる人がいたら押のけてやるぞ! 今日は良いことがあるかもな!」

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